▼写真提供:やまなし観光推進機構
二月末、早春の甲斐路へ。この甲府盆地は昔から何となく好きで、もう何回めの旅になるでしょう。といってもいつも一泊。今回も市内の湯村温泉にある『竹中英太郎記念館』を訪ねる夫に相伴し、温泉に泊まろうという魂胆でした。初めて甲府を訪れたのはもう三十年くらい前で、ここはワインと温泉の宝庫・・・とかいう某誌の記事に乗せられ、お薦めの勝沼の“ぶどう農家センター”なる宿を目指したのです。
ところが“駅前の丘の中腹に見える”はずの看板が、どこにも見当たらず、あれれ、としばし呆然。そのうちふと
『ぶどうの丘センター』の看板が目に止まった。ははあ。予約するため宿に電話した時、「ぶどうのーかセンターさんですか?」「はい、ぶどうのーかセンターです」というやりとりが確かにあったのです。つまり“農家”は雑誌の校正ミス。宿は楽しめたけど、後で某誌にクレームの葉書出しました。(今は『勝沼ぶどうの丘』に変わっています)。
ともあれ電車で行くのは今回が初めて。車窓から、真っ白に雪を被った富士山が大きく見え、ワクワク。甲府に着くとほうとうで腹ごしらえをし、梅が満開の甲府城址へ。城はないが発掘調査では、“舞鶴城”の名に恥じぬ美しい城だったとか。戦国時代の甲府は武田氏の統治下にあり、築城が予定されていたが、着工前に滅亡。その後、豊臣秀吉の命で築かれた。豊臣氏が滅ぶと徳川の直轄地として、西を守る拠点となった。だが徳川の世が固まると、外部の敵より内部の敵で、不良旗本や御家人の“左遷先”となるのです。彼らは二度と懐かしいお江戸に帰ることなく、生かさず殺さずの“甲府勤番”は、死罪より恐れられたという。
しかし戊辰戦争では再び要衝の地に。勝海舟は甲府城に新選組を送り込むも、勝沼で板垣退助率いる土佐軍に阻まれ、新選組は城に達する前に散り、城もまた明治政府によって廃城となった__。
そんな歴史を思い出しつつ、梅の香漂う長い坂道を上って行くと、丘上の兵(つわもの)どもの夢の跡は、柔らかい春の陽に輝き、盆地を囲む山波の間にはまたも白銀の富士山が。甲府勤番の侍たちは、何を思ってあの山を見ていたやら。
その日の宿は、信玄の隠し湯で有名な湯村温泉。他所では水を沸かして温泉にしている所もあるのに、そんな本格温泉が、駅から車で十分以内にあるのはさすが。タクシーの運転手さんいわく、「なに、この町を掘り返せばどこからも温泉が噴き出まっせ」。ホテルの部屋からも夕暮れの富士の勇姿が遠望され、晴れさえすればこの町は富士山だらけ!
『記念館』はこの温泉地の丘の上にある。竹中英太郎は、江戸川乱歩や横溝正史の挿絵で一世を風靡した挿絵画家。館には珍しい原画が沢山秘蔵されていて楽しめる。長男は反骨のルポライターと言われた竹中労、その妹の紫さんが館長です。
“信玄の隠し湯”で知られるだけに、ここの温泉は刀傷や筋肉痛に効くという。実は私は数日前から左足の踵が痛んでいたため、その温泉に浸かるのが楽しみの一つだった。ホテルに着くと早速にもお風呂へ向かったが、この日、張り切って歩き過ぎたためか、温泉に浸かっても足の痛みは軽減しないばかりか、翌日になるともっと痛み出したのです。
記念館はホテルのすぐ近くにあるけど、丘の上まで狭い急坂を登らなければなりません。いろいろ考えた末、私は残って、タクシーで駅前のモダンな山梨県立図書館まで行き、午後の時間を過ごすことに。
行く時はワクワク、帰りはトホホ・・・の珍道中でした。
◀写真上/『画集「竹中英太郎」~生誕百年記念~』
A4版 96ページ 収録 300点以上 価格 3,000円(税込)
◀写真下/竹中英太郎画 マレーネ・デートリッヒ(昭和49年)
問い合わせ先/湯村の杜 竹中英太郎記念館
〒400-0073 山梨県甲府市湯村3-9-1
電話&Fax/055-252-5560
https://takenaka-kinenkan.jp/gashu.htm
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濵野 智 (土曜日, 09 3月 2024 17:28)
これまたミステリアスな珍道中でしたね。