ケニアから飛行機を乗り継ぎ、さらにドバイから直行便で十四時間(!)、気の遠くなりそうな長旅を終えて帰国した岸田さん。
「やあやあ、お変わりないですか」
と相変わらず率直で、お元気そうで、笑顔の懐かしい人でした。
一方私は、花粉症たけなわのマスク仮面です。マスクの人が圧倒的に多く行きかう新宿の雑踏を、どう見ているかと案じつつ握手をし、去年の同窓会以来、ほぼ一年ぶりの邂逅を喜んだのでした。
そもそも岸田さんは、諸事情により、この“ファン倶楽部”の言い出しっぺです。でも会長になり手が皆無だったため、このサイトの管理人井田ゆき子さんが、ケニアまでメールを送ってお願いし、快く(やむを得ず?)承知して頂いた次第です。
高校時代はクラスも違い、卒業後は、ン十年たってからの同窓会で初めてお見かけしたくらいの関係だから、不思議といえば不思議、有難いといえば有難いご縁です。 その時の同窓会で、「NPOの活動でケニアに在住?」と聞いて、へえ、と驚いた記憶があります。でも後になって知ったお話は、もっとはるかに複雑で、熱い血潮のたぎるものでした。
何より驚いたのは、早くから鉱山に魅せられ、大学は鉱山学部に進んだということ。大抵は(私も含め)なかなか進路を決められないのが普通なのに、かれは高校時代から未来のキャンバスを描き、大学時代には憧れのアフリカの大地を踏んで、卒業後はケニアに人生を賭ける覚悟を決めたというのです。血の気の多い、ロマンチストだったのですね。
やがて宝石鉱山開発会社を立ち上げ、活躍する中、佳き伴侶(食の面から民族に迫る栄養学研究者)を得て、共にアフリカの孤児の救済に乗り出すことになったと。そうしたいきさつを私は『ケニアにかけた虹の橋』(春風社)で読み、大いに感服したのでした。
キャプテン・クックさながらのその波瀾万丈の半生は、おいおい、語り継がれることになるでしょうし、そうしたいものです。春にしては暑い昼下がり、そんな岸田会長を囲み、井田さんと三人、新宿でランチをしましたが、お話は二時間に及びました。
その中で、大の猫嫌いの岸田さんが、猫を飼っているというのが、少し可笑しかった。
私、猫の話になるとスイッチが入るたちで、“猫好き”というだけで、三十点は上げてしまいます。
でもかれは子どものころ、おばあちゃんと寝ていた猫が、その蒲団で仔を産んだことがあり、それがトラウマになっているんだとか。
そういえば少女時代、朝、異常にゴロゴロと喉を鳴らす音で目覚めると、私の愛猫がよく、血の滴るドブ鼠をくわえ枕元に座っていたっけ。いくら叱っても止めず、ご主人がギャッと叫んで大騒ぎするのを、楽しんでるみたいでした。猫って、そんな薄情な生き物です。
猫嫌いにも関わらず、迷い込んできた猫を飼い、朝晩エサをやって慈しんでいるのは、もしかして“隠れ猫好き”ではないですか。それともアフリカの大地に魅せられ、故郷から遠く離れたご自身を、迷い猫になぞらえて----?
いえ、それは私の妄想にすぎませんが、とりあえず三十点あげてしまおうっと。
コメントをお書きください
北光寮 (月曜日, 20 7月 2020 17:01)
岸田先輩、電気1年の熊谷です。
部屋長は、機械4年の熊原さんでした。
入寮した年(1966)のオリエンテーションで「人民」について話された先輩のことが印象深く記憶に印刻まれています。
北光寮は、そういうところでした。
先輩が、ハンマーマー持って出かける姿を窓からお見送りいたしました。
まだ「離別歌」は、早いですね。
秋田大学電気工学科4年中退 熊谷信幹