今年も、タケノコが届きました。例年より半月も早く、もう藤もハナミズキもツツジも百花繚乱、今年は自然が駆け足ですね。
贈り主は、千葉に棲む絵師の佐伯俊男さん。住まいが房総半島のとある神社の敷地にあり、竹林に囲まれているため、季節になると庭の隅にタケノコが次々と生えてくる。地味が肥えている上、モウソウチクだから、京タケノコに劣らず柔らかく、美味しい。
アクアラインが開通してから、泊まりがけでよく掘りに行きました。帰りは三十本くらい車に積んで、気分はウハウハだけど、その処理にはヘトヘト。大鍋とスパゲティ鍋を使って何回も茹でるやら、近所に配るやら。その日から一週間、若竹煮に始まって、チンジャオロースー、春巻、天ぷら、筍御飯-----とタケノコ料理が続きます。でも極めつけは、すき焼き。掘りたてをゆがいて薄切りにし、肉と共にジュージュー焼くと、肉汁をよく吸ってそれは絶品です!
思えば佐伯さんとは、もう半世紀に近い付き合いになります。1970年、かれは寺山修司らの後押しで「平凡パンチ」から絶賛デビュー。処女作「佐伯俊男画集」を「アグレマン社」から出版しました。その編集部に私は、新米編集者として在籍したのです。 画集は話題になり、“情念の絵師”としてたちまち売れっ子になった佐伯さん。よく紫のコーデ ュロイのスーツで編集部に現れ、華やかな話題を振りまいて、ずいぶん眩しかったっけ。
佐伯俊男の紡ぎ出す悪夢の「地獄絵」が、大好きだった私は、絵の受け取りには進んで出向き、お喋りを楽しみにしたものです。そのうち私の転職やら、佐伯さんの結婚と千葉への転居やらで、一時疎遠になったけど、何やかや電話で長話することがあり、それが続いて、いつしかタケノコ友達になったというわけ-----。
今年一月、渋谷の画廊「NANZUKA」で大きな個展がありました。今までと少し違うコンテンポラリー系画廊なので、やや派手な、エプロンドレスみたい衣装で出かけた私は、浮いてしまわないかと少し不安だったのです。ところが、何と何と。アイヌの民族衣装みたいのをゾロリと着こんだ男性とか、上半身は着物、腰から下はジーンズの 女性とか。肌も露わな黒いタンクトップ(この寒い一月に!)に、リュックを背負って現れたアメ リカ人女性を見るに及んで、自分など地味に思えたほどでした。多彩奇抜なこのファッションからも、推して知るべし。
この個展は、情念で知られる佐伯俊男の、ポップな一面に光を当てた、私に言わせれば“画期的” なものでした。初期の作品(生首が載ったパラソルをさす女性)を巨大に引き延ばした壁画の前では、かれの絵はおおかた見ている私も、しばし絶句-----。
佐伯俊男が、日本より世界で人気があり、
毎年パリやニューヨークで個展が開かれ続ける理由を、改めて納得したのでした。
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